小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ」1〜3(新潮文庫)、「ASIA ROAD」(講談社文庫)

2006年1月15日日曜日

トラベル

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小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ 1」(新潮文庫)

 3年半勤めた会社を辞め、フィルムを数十本抱えて、アジアへあてのない旅行にでかけた筆者が、アジアで出会った日本のバックパッカーたちの記録と、彼らに再び日本かアジアで再会した時の記録。


本の表紙の、街角で振り返っている女性、また、通りの向こうへ走り去っていきそうな女性の姿が印象的な本である。


普通の旅本なら、旅行先で出会った人のことを書いても、日本で再会するときの話は書いていない。再会することがほとんどないことも事実だろうが、アジアの旅先のことは、日本とか隔絶した別世界のこととして、旅先の稀ごととして心の中で扱われているのが原因ではないだろうか。この本の筆者は、きっちりと日本で再会したことも記録している。それが、この本に普通の旅本でない、リアリティを与えているように思える。


しかも、アジアで出会う人たちも種々雑多である。息子がいながら(と、その人は主張する)日本を捨ててしまったような人(20センチの家財道具)、旅に出ることが日常になるとそれも一つのありふれた生活になることに気づきながら、なお旅をする青年(かっこよくない旅)、何かを追い求めるかのように前へ前へと進む旅(消えてしまったパスポート)もあれば、探し物があるかのようにひとところに立ち止まる旅(ガンガーとフクロウ)もある。


人それぞれに、旅もそれぞれなのだ。


そして、旅がそれぞれであるように、旅の後も、人それぞれである。


旅で出会った人と結婚し日本に落ち着く人(東京の曼荼羅)、空間的な旅は終わっても時間的な旅、自分にあった職業を求める旅は終わらない人(終わらない旅)、この世でない所に自ら旅立った友人(キャンバスの軌跡)


しかし、旅の途中と旅のその後の話を読んで、二つに種類に分かれることに気がつく。旅に再び出る人と出ない人、それは空間的な問題ではなく、捜し求めているものが、実は自分の中や近くにあったか、そうでないかの違いではないだろうか。

「変わりたいと思っている自分も、変われないでいる自分も、これから変わっていくかもしれない自分もすべて自分なんだと思った。それが本当の自分だと」と思う人(天使と、女神と、彼)と「先のことを決めるのって、とても難しいことだと思う。だからわからない。それに決めたからって、その通りにいくとも限らないし」という人(終点のブッダ)の違いなのかもそれない。


どちらにしても、旅は終わっていない。


小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ2」(新潮文庫)

初めてヴェトナムに行き、ハノイで日本人学校で教える女性に出会い、1年半後、再び東京で再開する。

その間の旅である。場所は「パリ」。


インドのカルカッタで下痢に襲われ、自分のまわりにまとわりつくようなアジアから逃れたくて、アジアから最も遠いところへと逃れていくのがきっかけである。
距離としての遠さではなく、アジアの対極としての「パリ」である。

旅行記を読んでいて、思うのが、アジアとヨーロッパを旅する人の違いである。
それは旅をする人が違うという意味ではなく、同じ人が旅しても、何か読んだ感触が違うのである。
感覚的にいえば、アジアの旅行記は、ちょっと埃っぽい日向水のような感じを受けるに対して、ヨーロッパ、特にパリの旅行記は、早朝の冷気で冷えたミネラルウウォーターの感じである。これは同じ西欧でも南欧やアメリカとも違う、西ヨーロッパの旅行記で受ける印象である。

これは、この本でも同様である。パリで元気に生きている日本人も多く登場するのだが、
なぜか、「緊張感」が漂うし、筆者の文体もなにか「緊張」している。

こうした、どうにもヨーロッパというものにシンクロできない、なにかしら違和を抱いてしまう感じは私だけだろうか。ま、私のことはさておき、アジアン・ジャパニーズの1巻と同じように、パリで暮らし、パリで一旗あげようとしている人たちのインタビューが続けられる。そして、それに疲れたかのように、筆者は、またアジアに帰る。

アジアの対極へ行き、再びアジアへ舞い戻る話である。「なつかしきわが故郷」といったところか

小林紀晴 「アジアン・ジャパニーズ 3」(新潮文庫)

アジアン・ジャパニーズのシリーズの最終章である。

日本からアジアへ、アジアからヨーロッパへ、そしてまたアジアへと振れてきた筆者の旅も、台湾から、沖縄へ向かい、沖縄から島伝いに鹿児島へ向かう旅で、日本への回帰を迎える。途中、筆者の故郷、諏訪の御柱祭の記事もはさみ、アジアから琉球弧をへて、原日本へ戻っていく旅であるかのようだ。

沖縄で出会う人々も、本土から移り住んだか、あるいは旅をしている途上の人たちが多い。
いずれも本土、東京のアンチテーゼとして、沖縄いやオキナワが抽象化されている。
沖縄は、本土以上の不景気の時だから、移り住んだ人々にも定職といった定職のない人が多い。竹富島に移住してきたカメラマンの
「まず、店がないでしょ。家も他のまわりの人たちを見ても、どうやって生活しているのかよくわからない。農業をやっているわりに、別に出荷しているわけじゃないし、というのを見ると、こういうのでも生活できるんだと」
という発言が象徴的だ。

そして、日本とアジア、東京と沖縄を対比する概念として提出されるのが「山と海」である。

「海の人間は、いろんなことを忘れちゃうから。いろんなものを海に流すから。でも山の人間は違うでしょ。根っこを掘るから。」

 海には何の痕跡も残らない。山には陸には、古い時代の痕跡ばかりが何重にも残る。

筆者は、すべてを流してしまう海の中で古い時代の人間の痕跡を残す陸ー島ーをよりどころに本土へと向かう。途中には、高校になったらほとんどが那覇か鹿児島へでてしまう宮古島や染物や琉球ガラス、いや沖縄の風土そのものに惹かれ、若者が吹き溜まってくる那覇の街、読談村、名護。今は訪れる人のほとんどない輿論島。

宮古で、島の老人の言葉がなぜか重い。
「子供は、あまり出来がよくない方がいいさ。
 出来がよすぎると、子供というのは必ず親の元から離れていくさあ・・。

 そうして本当に離れていくさあ。それは親不孝さ。」


一方で途中、途中に挿入される、諏訪の御柱祭。古来から続き、戦争を超えて今も綿々と続く山の祭り。筆者は、7年おきの繰り返される祭での父親の姿を回想し、今年の祭りでも父親の姿を捜し求める。


そして、名護の先、本部港から、鹿児島へ向かう航路で、この旅も終わる。最後に筆者のアジア、パリ、アジア、そして本土へとつながっていった旅の回答はこれだろうか


   「山と海、どちらが好きですか。」

    好きとか嫌いということではない。ここにあるということでしかない。

小林紀晴 「ASIA ROAD」(講談社文庫)

デビュー作「ASIAN JAPANESE」の4年後の続編。

旅するときは1995年の夏から翌年の夏までの1年間。東京からバンコクにわたり、タイ、ベトナム、中国、台湾、沖縄、東京とめぐる、ASIAN JAPANESEの旅をなぞるかのような旅である。文章だけでなく、ふんだんに挿入されている写真がよい効果を出している。文書だけでなく、写真を読み取っていく必要のある本である。

1995年夏から1996年夏にかけてに何がおこっていたのか、Wikipediaで調べてみると、1995年は、7月にPHSサービスがはじまり、8月にベトナムがアメリカと国交回復、11月にWindows95が発売されている。7月以前に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件がおきているから、騒然とした年であったことはまちがいない。芸能的には、安室奈美恵、TRFといた小室ファミリーが大ブレークしていた時だ。1996年は、1月に村山首相退陣、橋本首相の誕生。3月に台湾初めての総統選挙で李登輝氏が当選、7月にアトランタ五輪が開催されている。

こうした世情的には、あまり平穏とはいえない時勢の中で旅をしているのだが、こうした時勢の影響は、ほとんどない。これは、旅をするということが、その地で起こる事件、すなわち、地域と密接に関連性を有することから逃れていくことであるという風に考えれば当然のことだろう。旅して滞在する地は、さまざまに変わっていくから、事件もさまざまに変わっていく。とりわけ、この本の「旅」が地域をまわるという性格のものでなく、自分の内面へ。「地域」をてがかりにしておりていくという性格をもっているからなのかもしれない。

しかし、いくら内面への旅であっても、出会う人、出会う地域によって、内面へおりていくために手繰っていく道筋は変わっていかざるをえないだろう。

「バンコクと張り合えるのはニューヨークぐらいでしょ。ニッポンなんて目じゃないわ」というバンコクの女装している男子学生

「バンコクはタイではあってタイではないんだよ」というタイ人

ラオスの首都(ヴィエンチャン)で「出会う顔は一口でいえば、ゆるんでいた。ふわふわとほほ笑んでいるように穏やかで、とけるようだ。それは、ここが都市ではないということを明確に表している。」

「(あと10年経てば)もっと発展して、ホーチミンはほかの国の都市に劣らない街になっていると思います」と自信をもって言うベトナム人の女学生。

一番ほしいものは「もちろん、お金」、夢は「独立」という言葉が躊躇なく返ってくる上海

といった事象や人に出会うとき、やはり自らと「とうきょう」という都市とのかかわり、「日本」という国とのかかわりに結びつかざるをえない。

また、読みながら感じるのは、「ASIAN JAPANESE」での旅する地とのなにかしらの「連帯感」が希薄になっていることである。


旅をしていながらその地域、話をする人との隔たり感、筆者の孤独感が強くなっているのである。
それはボカラで「コバヤシ、汚くないね。きれいになった」といわれることに象徴されるように4年の年月が地域と人、いや筆者自体を変えているのだろう。



そして、再びの旅の終わりは、こうした言葉でしめくくられている。

「ベトナムで出会った青年は

「十年後には、この街は東京みたいになっている」
と言った。正直、かなわないと思った。少なくとも僕はそんな言葉を持ち合わせてはいない。
十年後、東京ははたして東京であり続けることができるのだろうか」

東京という言葉は「僕」あるいは「私」という言葉に置き換えられるのかもしれない。


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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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