重松清 「きみの友だち」(新潮文庫)

2011年4月19日火曜日

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 重松清の作品は人前で読まないことにしている、と言ったら笑われるだろうか?

理由は「泣いてしまう」から。

とりわけ、子どもたちが懸命に、自分なりに精一杯に頑張っているものを読むと涙腺がゆるゆるになってしまう。この「きみの友だち」もその例外でなく、というか例外でないどころか涙腺がだだ漏れになってしまった。



収録は

「あいあい傘」

「ねじれの位置」

「ふらふら」

「ぐりこ」

「にゃんこの目」

「別れの曲」

「千羽鶴」

「かげふみ」

「花いちもんめ」

「きみの友だち」

の10編。


事故のため、足が不自由になった恵美と、腎臓の病気で学校を休みがちな由香、そして恵美の弟のブンと、ブンのクラスに転校してきて、出来る奴としてブンの立ち位置を脅かすトモ


これは、恵美が11歳、小学校5年生の頃から中学3年生(ネタバレを承知で言えば、由香が亡くなるまでだ)を中心にした「恵美と由香」の物語 と 同じく 小学校5年生から中学3年生までの 「ブンとトモ」の物語を中心として、「堀田ちゃん」であり「西村さん」であり、「ハナちゃん」であり、「三好くん」である、彼らの周りの子どもたちを主人公としながら繰り広げられる、「友だち」の物語群だ。



この「友だち」の物語群は、恵美と由香が、それぞれの障害を抱えるが故に、「みんな」とは離れており、それは、離れてはいるが、「みんな」の近くにあり、「みんな」もその世界と無縁ではないゆえに、もの悲しい。「みんな」が「みんな」であるうちは、「わたし」をはじく存在であり、「わたし」も「みんな」という顔のない世界に属する限り、「わたし」ではない。そんな物語だ。


そして、「死」ということ、「別れ」しかも、まだ若い、幼いほど「若い」頃の別れを意識しながらの友情であり、友との絆であることが、恵美と由香の物語を、悲しく、しかし、私たちの心を暖めるのだろう。


「ほんとうに悲しいのは、悲しい思い出が残ることじゃないよ。思い出が何も残らないことがいちばん悲しいんだよ。だから、わたし、いま幸せだよ。」という由香の死を間近にしながら思う恵美の言葉を胸に置きながら、由香のお父さんの、由香の誕生日の歌をかみしめる。


「さーんねんせーいっ」「よねんせーいっ」・・・「おとーもだちがでーき、まーし、たっ」


そう、これは、君の、私の、あのひとの、あの娘の、私の娘の、あなたの息子の、「友だち」の物語だ。


「ちゅーがくせいに、なりました」「にーねんせいに、なーりました」


歌はまだまだ続いていい。すべての未来ある者たちへ、すべての過去を持つ者たちへ。


「おとーもだちがでーき、まーし、たっ」


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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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