賢帝中の賢帝とも言われるマルクス・アウレリウスの登場から彼の死後、息子の暴政、帝位を巡って5人の軍人が争う混乱の時代へとローマ帝国が傾き始める時代の「ローマ人の物語」
塩野七生「ローマ人の物語 29」(新潮文庫)
古代ローマの賢帝の中でも、極めつけの賢帝と評価のある哲人皇帝 マルクス・アウレリウスの登場である。
といっても、この巻の最初は、誕生から前の皇帝であるアントニヌス・ピウスの「長い」次期皇帝(皇太子)時代が続く。
この「次期皇帝」時代の印象は、激情家ではなく非常に穏やかで、騒がしいことの嫌いな、前皇帝のもとで、すくすくと(表現としては適当でないかもしれないが、子供の成長の一つの姿を現す、この言葉がぴったりくるんですよね)皇帝修行をしている、「恵まれた若旦那さん」的な暮らしである。
マルクス・アウレリウスといえば、「自省録」など、哲学者の面も有名なのだが、かなりの独裁者で帝国内を飛び歩いているハドリアヌスにかわって統治の責任者を務めているといってもいいヴェルスの孫として、若い頃からかなりの優遇を受け(本書の途中にトラヤヌスからマルクス・アウレリウスまでの執政官などへの就任年齢を比較した表があるのだが、マルクスはやけに若くして就任しているものばかりなのだ)、また、財産もある。そうした若旦那的な生活スタイルが、哲学におぼれさせる一因でもあったのではないか、とも思う次第である。
しかも、ピウスの方針だったのかもしれないが、次期皇帝に指名される前も後も、辺境の地で軍務に就くという経歴もなく、さしずめ、お金持ちで名門のシティボーイといった暮らしを、皇帝就任まで続けることができたということは、それはそれで幸運なことではある。
で、なのだが、こうした穏やかな前半生とうってかわって、皇帝となってからの後半生は、帝国のあちこちで反乱ののろしがあがり、その鎮圧に奔走する、といったものだったらしい。そのあたりの原因について、著者は前皇帝アントヌヌス・ピウスの責任もなかったわけではないような件はあるのだが、まあ一番大きな要因は、時代の流れというか、ユーラシア大陸全体の遊牧民族の動きが、古代ローマにも及んで着始めたのと、永らくのパックス・ロマーナの中で、全体的に帝国の気風がトロンとしたものになって、それが帝国の周りの民族につけこめそうな雰囲気を与えだしたということなのだろう。
ということで、この巻は、マルクス・アウレリウスの平穏で学究的な前半生を中心に、波乱怒濤の後半生の幕開けといったところで、次の巻に続くのであった。
塩野七生「ローマ人の物語 30」(新潮文庫)
本書では、最後の五賢帝 マルクス・アウレリウスの治世とその息子のコモドゥスの治世を描いている。
これにでてくるマルクス・アウレリウスは、即位当時の哲人皇帝の静かではあるが、知性的で凛々しい印象が、なんとなく影を潜めているような印象となっている。まあ、始めたはいいが、先の見えないゲルマン諸族との戦いが泥沼状態になっていたこともあるだろうし、エジプトあたりでの反乱も起こっている。
この危機を、マルクス・アウレリウスは実は、現地のドナウ川の前線で、皇后などの家族と一緒に過ごしていて、そこでは
「皇帝の仕事ぶりは、勤勉を超えていた。・・・非常な小食だった。それも日が落ちた後でなければ食事をとらなかった。日中は何も口にせず、テリアクと呼ばれた薬を溶かした水を飲むだけだった。この薬も、多量に飲んでいたのではない。習慣になるのを怖れたのかもしれない」
といった暮らしぶりは、なんとも生真面目ではあるが、ちょっと鬱陶しさを感じさせる。
このへんは、筆者も同じ思いで、戦闘のない冬季には周辺の蛮族の首長などを招いて、将兵が演ずるギリシア悲劇を鑑賞したカエサルの明るさと対比させているのだが、真面目で仕事熱心な人っていうのは、事業を任せるにはいいのだが、共にに暮らすとなると、少々気が重い。で、皇帝がこんな感じだったということは、この当時のローマ帝国の暮らしぶりは堅実ではあっても、生活の華は少なかったかもしれないなーと思ってみたりする。
で、結局は、マルクス・アウレリウスが死亡したというデマによって兵をあげたカシウスの乱を治め、その後の「第2次ゲルマニア戦役」の準備中に倒れ、死期をさとって、薬、食事、無水を絶って死を迎える、という、なんとも優等生のマルクス・アウレリウスらしい死に方をするのである。
正直にいうと、なんとも、辛気臭くはあるなー、という感じ。
で、このくそ真面目なマルクス・アウレリウス帝の後を継いだのが、息子のコモドゥス。
いや、なんとも評判がわるかったらしいですな。この皇帝。
「帝国の災難」とギボンの「ローマ帝国衰亡史」はこの皇帝から始まるとか、いった具合である。果ては、実の父のマルクス・アウレリウスの謀殺の疑いすらかけられている。
評判の悪いのはマルクス・アウレリウスの死後すぐに結んだ蛮族との講和らしいのだが、これは、筆者は、やむをえない選択ではあったが、手をつけると支持率低下必至の政策、と位置づけている。で、あるならば、優れた父を持った、フツーの息子が、よく陥る、例えば武田勝頼とかと同じような
不運さなのかもしれない。
このコモドゥス、その後、実姉による暗殺未遂後、解放奴隷クレアンドロスを重用した側近政治に走り、このクレアンドロスが配給小麦を減らしたりして市民の暴動を招いたり、剣闘の試合に皇帝自ら出場する、といったよくある暗君、馬鹿殿様エピソードを演じたす末に、愛妾と寝所づき召使などに暗殺される、というおきまりの道を歩んでくれる。
いわゆる名君とその不肖の息子の構図は、時代を問わず、世の東西を問わず、という普遍的な原理を示しているような、マルクス・アウレリウス親子の時代絵巻でありました。
塩野七生「ローマ人の物語 31」(新潮文庫)
コモドゥス帝暗殺後の内乱の時代。
4年間の期間らしいのだが、これを長いととるか、短いととるかは、諸説あろう。
はじめに登場するのは、ペルティナクス。66歳の老将である。
キャリアはほんとの叩き上げ。解法奴隷の子として生まれ、シリアの軍団を振り出しに、最後は皇帝までのぼりつめるのだが、近衛兵の長官に裏切られて失脚。理由は、この長官レトーをエジプトの長官にしなかったから
「小事」にまで批判を受けてはならぬという想いで進めると、「大事」が実現できなくなる。大胆な改革を進める者には、小さなことには今のところは眼をつむるぐらいの度量は必要
で、次が、ディディウス・ユリアヌス。この人は、元老院階級に生まれた、根っからのエリート。
このライヴァルになったのが、ペルティナクスの妻の父でフラヴィウス・スルピチアヌス。
この二人は近衛兵の信任投票で皇帝の座を争ったらしいが、決め手は近衛兵へいくら金をわたすかだったらしい。
こんなことをやっていたら、皇帝の信頼が失せるのは、まあ当然で、案の定、皇帝の座を巡って、軍隊を握っていた将軍たちが名乗りをあげる。セブティミウス・セヴェルス、クロディウス・アルビヌス、ペシャンニウス・ニゲルの三人である(あー、名前長くて面倒くさい)。
勝者は、兵力の多いドナウ河防衛戦担当の軍団の支持を受けたセヴェルス。
やはり、実力主義の時代は、良くも悪くも実力(兵力)が決め手なのだね、と思わせるのだが、実は、アルビヌスもリゲルも、セヴェルスと戦うまでに時間を無駄に浪費していたりしたのが敗因になっていて、勝者は勝者なりに、単に兵力が多ければ勝てるというものでもないらしい。
セヴェルスが皇帝になってはじめにやったことは、元老院の彼に敵対する26人の元老院議員の断罪だったのだが、これは、皇帝を争ったライバルのアルビヌス派だった、ということを理由にしてのことらしい。ただ、もともとアルビヌスはセヴェルスの共同皇帝だったのだから、この時の事を持ち出すのはフェアじゃないよな、と思うのだが、泣く子と地頭のなんとやらで、なんとも暗いイメージの新皇帝のスタート。
そのせいか、当時のローマの識者や現代の識者の評価も、筆者の寸評も、どことなく辛(から)い。
いわく、彼のやった軍制改革により軍隊の居心地がよくなったことが、ローマ帝国の軍事政権化をもたらした
いわく、パルティア戦役の結果、パルティアがササン朝ペルシアにとってかわられた遠因となったが、これは、ローマの「三世紀の危機」の時代の「敵」(パルティアのような「仮想敵国」ではなく)をつくったことになった
いわく、生まれ故郷のレプティス・アーニャの大改造は、故郷に錦を飾った、皇帝権力の濫用
などなど。
どうも、このセヴェルスという皇帝、非常に家庭を大事にしたらしいが、息子カラカラによる近衛軍団長官の目の前での殺害事件(もっとも、このカラカラ、後に弟のゲタも母親の前で斬殺しているから、いわくつきの凶暴息子の気配がただようが・、・・)に象徴されるように、なんとなく治世の始まりかあら終わりまでが陰気な印象を受ける。
最期は、軍人皇帝らしく、ブリタニア遠征のために渡英(というか渡ブリタニアか?)先のヨークで死ぬのだが、このあたりも、どんよりと曇ったイングランドの景色のもとで、息を引き取る様子が連想されるのは、私の勝手な妄想かな・・・
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