塩野七生「ローマから日本が見える」(集英社文庫)

2009年10月2日金曜日

塩野七生

t f B! P L

 塩野七生氏のエッセイ。ほとんどの人が、一度は手に取るか、一部を読んだことがあるであろう「ローマ人の物語」から、ちょっとこぼれたエピソードや論述などがまとまっている。

古代ローマ史の年表的位置関係でいえば、ローマの建国からアウグストゥスの初代皇帝への就任あたりまでで、エピソード的には、カルタゴとの戦争とカエサルやその周辺の人々にまつわるものが印象に残る。


本編の「ローマ人の物語」はすでに完結していて、今は、古代ローマ帝国後の地中海世界の話に最近の筆者の著作は動いているのだが、残念ながら、私は五賢帝後の軍人皇帝時代のはじめあたりまでしか読んでいないので、全体を俯瞰したものいいは注意しなければいけないのだが、ローマ帝国にとって、上り調子で、まだ爛熟に達していない時代が、カルタゴとのフェニキア戦争やカエサルとその近辺の時代だと思うので、読んでいても、


例えば、「改革」ということについても、今までの勝者が一夜明けたら落魄していたといわんばかりの市場主義批判が頻出する現代とひき比べながら


「改革は単に思い切りがよければいいのかと言えば、けっしてそうではない。

なぜならば、それぞれの国家や組織にはそれぞれの伝統があり、これを無視した改革を行ってもうまくいくはずがないからです。

自分の手持ちカードが何であるかをじっと見据え、それらの中で現在でも通用するものと、もはや通用しなくなったものを分類する。そして、今でも通用するカードを組み合わせて、最大の効果を狙う。これがまさに再構築という意味での真のリストラだと私は考えます。

ローマ人たちは、その点に関しても達人でした。」


といったあたりや


「ともすれば改革とは、古きを否定し、新しきを打ち立てることだと思われがちですが、けっしてそうではない。

成功した改革とは、自分たちの現在の姿を見つめ直し、その中で有効なものを取り出していき、それが最大限の効果を上げるよう再構築していく作業なのではないか。ローマの歴史を見ていると、そう思わざるをえないのです。」


といったあたり、思わず「嗚呼」とつぶやかざるをえないし、


「人材難」ということに関連して


「どれだけ人材がいても、それを活用するメカニズムが機能しなければ、結局のところは人材がいないのと変わらないのです。

国家に限らずあらゆる組織が衰退するのは、人材が払底したからではありません。人材はいつの世にもいるし、どの組織にもいるのです。ただ、衰退期に入ると、人材を活用するメカニズムが狂ってくるのです」


といった記述には、「うむ」と納得をさせられる。


「古代ローマ人」というすでに滅んでしまったといっていい民族(今のイタリアは、ローマ人の末裔ではあっても、直系のようには、私には思えないのだ)に託して、今を批判的に語るのは、ちょっと狡猾いんじゃないの、という思いもないことはないのだが、でてくる「ローマ人」のキャストがカエサルにしろ、スキピオにしろ、はたまたローマの敵役のハンニバルにしても、筆者の筆致がさえわたっていて、とにかく格好が良い。そのせいかうーむと納得して頷かざるをえなくなるのは、やはり筆者の術中に、まんまとはまり込んでいる証左なのだろう。


いったいに、「古代ローマ手国」あるいは「古代ローマ人」が、極東の日本に、ここまで膾炙したのは筆者の力といっていいだろうし、また、「古代ローマの歴史」というものを単なる歴史の話としてではなく、血わき肉踊るものにしたのも、筆者の功績といってよい。最近、戦国もののゲームに端を発して戦国武将人気が若い女性たちの間で高まっているらしく、カエサルを主人公にしたゲームや小説がでれば結構ヒットするかもしれないのだが、カエサルが登場する最近の小説は、ジョン・マドックス・ロバーツの「古代ローマの殺人」あたりしか、今のところ思い浮かばないのは残念。



最後に、本書からイタリアの高校の教科書にでているローマ人らしいリーダーの姿を引用して、この稿を終わろう。


「指導者に求められる資質は、次の5つである。

知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。

カエサルだけが、このすべてをもっていた。


筆者が、こうした基準に照らして、リーダーとして高得点をつけているのは、カエサル、スキピオ、アウグストゥスあたらなのだが、どうです。お近くに当てはまる人いますか?


できれば、「ローマ人の物語」を読んでから、あるいは読み進めながら、箸休め的に読んだほうがいいものではある。


ーーー 引用 ーーー


P153

アレキサンダー

戦闘とは、激動の状態である。ゆえに、戦場でのすべての行為は激動的になされなければならない。


P159

「自分らしさ」を捨てた改革は無意味

ローマ人はローマ人としてのアイデンティティを捨ててまでハンニバルに勝ちたいとは考えなかった


P163

ハンニバルに会ったことのない私たちには推測するしかないのですが、おそらく彼には部下に「自分たちがいなければ」と思わせる”何か”があったのでしょう。


古今東西、優れたリーダーといわれる人たちはみな、この"何か”を持った人たちでした。

単に統率力があれば、それでリーダーになれるわけではない。人を率いる才能と同時に、人に慕われる才能を持っていなかえれば、周囲は彼をリーダーとしては認めない。


ハンニバルとローマ 天才対組織


P168

ハンニバルの不吉な予言


「いかなる超大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。国外に敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。外からの敵は寄せ付けない頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に、肉体の成長についていかなかったがゆえの内臓疾患に、苦しまされるものがあるのと似ている」


P281

ローマ防衛体制のアイデア

最前線には最小限の兵

有事の際には、機動部隊が海や陸を移動して援軍に当たるやり方

P286

ローマはリストラの名人

ローマ人にとって政治システムは「常にメンテナンスすべきもの」

P293

改革は単に思い切りがよければいいのかと言えば、けっしてそうではない。

なぜならば、それぞれの国家や組織にはそれぞれの伝統があり、これを無視した改革を行ってもうまくいくはずがないからです。

自分の手持ちカードが何であるかをじっと見据え、それらの中で現在でも通用するものと、もはや通用しなくなったものを分類する。そして、今でも通用するカードを組み合わせて、最大の効果を狙う。これがまさに再構築という意味での真のリストラだと私は考えます。

ローマ人たちは、その点に関しても達人でした。

P295

ともすれば改革とは、古きを否定し、新しきを打ち立てることだと思われがちですが、けっしてそうではない。

成功した改革とは、自分たちの現在の姿を見つめ直し、その中で有効なものを取り出していき、それが最大限の効果を上げるよう再構築していく作業なのではないか。ローマの歴史を見ていると、そう思わざるをえないのです。

P296

カエサルの言葉

「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった。」

P297

政治システムの善から悪への転換は、システムそのものにあるというより、外界の環境変化

たとえシステムそのものは昔と同じく運営されていても、それを取り巻く環境が激変してしまえば、その効果も逆向きになってしまう。

P301

どれだけ人材がいても、それを活用するメカニズムが機能しなければ、結局のところは人材がいないのと変わらないのです。

国家に限らずあらゆる組織が衰退するのは、人材が払底したからではありません。人材はいつの世にもいるし、どの組織にもいるのです。ただ、衰退期に入ると、人材を活用するメカニズムが狂ってくるのです

P306

どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。一人の指導者があらわれ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらないのです。そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。

といっても、改革はむずかしい。なぜなら、どんな改革であれ、それによって損をする人たちが必ず現れる。いわゆる既得権益層の存在です。

この人たちを言葉によって、つまり理性によって説得しようとするのは絶望的と言っていい。「話せばわかる」というのは民主主義の理想ではあっても、それのみで成功したことはほとんどありません。

というのも、ふたたびカエサルの言葉を引用すれば、「人は自分が見たいと欲する現実だけを見ようとする」存在であるからです。改革によって既得権が失われることに心を奪われている人たちに、改革の意義を説いたところで理解されないのも当然だと思わねばならない。

しかし、かといって彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅の改良に終わってしまうのが落ちです。

したがって改革をやろうとすれば、結局は力で突破するしかないということになる。そのことを誰よりも分かっていたのが、スッラであり、カエサルであった。

P308

現代日本のことでいえば、なぜ一連の改革が成功しないかといえば、一つには改革の意義を反対派に分からせようとばかりしていて、賛成派を増やそうという努力が決定的に不足している面もあるのではないでしょうか。

新しい時代を作ることになるほどの大改革は、誰にでも理解されるものではない。その意味で改革者とは孤独であり、孤独であるがゆえに支持者を必要としているのです。アウグストゥスが演技をしてでも元老院を味方につけようとしたのも、まさにそのためでした。


P318

「指導者に求められる資質は、次の5つである。

知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。

カエサルだけが、このすべてをもっていた。

(イタリアの普通高校で使われている教科書より)

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