東南アジアの最南端駅から「茶のシルクロード」へと続く鉄道旅 -- 下川裕治「ディープ過ぎるユーラシア縦断鉄道旅行」(KADOKAWA)

2017年7月4日火曜日

下川裕治

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 旅行記には、ひとところにどっぷりと落ち着いて”沈没”をするものと、ひたすら”移動”を続けるものがあって、どちらがより旅行記らしいかといえば、そこは好みの問題もあってなんともいえないのだが、両方こなせる旅行作家が下川裕治氏であろう。


収録は


第1章 最南端駅からアジアの風に吹かれて北上千九百二十キロ

 ーシンガポールからバンコクへ

第2章 ようやく開いた土煙の国境三百四十キロ

 ーバンコクからダウェイへ

第3章 激しい揺れとダニにやられるミャンマー列車千六百八十キロ

 ーダウェイからセムへ

第4章 茶葉を追いつつ中国縦断五千百八キロ

 ー瑞麗から北京へ

第5章 マイナス二十度の草原を北上、千七百三十五キロ

 ー北京からスフバートルへ

第6章 寝ても覚めてもタイガのシベリア

 ーキャフタからムルマンスクへ

附章 万里茶路を行く


となっていて、シンガポールから極東ロシアまでの気候変動の激しい「鉄道旅」である。で、その「移動の旅」の交通手段も、徒歩から、キャンピングカー、バス、飛行機、鉄道と様々あるのだが、当方の好みからいえば、飛行機・徒歩・クルマは論外。バスは埃っぽい様相が漂うので、旅の風情と食の楽しさが期待できる”鉄道”が一番、といったところである。


ただ、”一番”といったところで、そこは飛行機であれんば数時間あれば移動できる距離を、到着時間の遅れを気にしながら乗り継いだり、鉄道がいつのまのか休止していたりといった苦難を乗り越えながら、暑さ寒さの影響をもろに受けながらの旅であるので、けして快適とはいえないことも多い上に、国境をまたぎ陸上を走る交通手段であるので、その国の政治情勢を色濃く反映する。


それは例えば、ミャンマーでの


どれほどの揺れなのか・・・想像するのは難しいかもしれない。飛行機が乱気流に入ってしまうことがある。急に期待が揺れ、通路を歩くことも大変になる。ときにジェットコースターが急傾斜をおりるときのような浮遊感にも襲われる。それが列車で延々と続くと思ってもらうことがいちばん近い気がする。とにかく車内の通路を歩くことが難しいのだ

 

といった、日本、中国、韓国の高速列車に慣れた身には過酷な移動環境であったり、


中国の駅は強い権力のにおいがそこかしこに漂っている。切符を買うにはパスポートが必要で、切符には、パスポート番号と名前が印字される。駅舎に入る前にセキュリティーチェックがあり、その先でパスポートと切符の照合が行われる。昆明駅はとくにぴりぴりした空気が流れていた。2014年、駅前広場や切符売り場で無差別殺傷事件が起きた。ナイフを手にした集団が通行人を次々に切りつけた事件だった。この犯人としてウイグル人三人に死刑判決がでている

 

といった民族紛争であったり


マレーシアにはマレー人、華人、インド系住民などで構成される多民族国家である。それは運送業に世界では、みごとに色分けされていた。マレー鉄道はマレー人、長距離バス会社を経営するのは華人、LCCのエアアジアはインド系だった。

(中略)

マレー鉄道は違う。マレー人が運営し、マレー人優遇策、つまりブミプトラ政策のなかにあった。

(中略)

しかし民族間の能力の違いは冷酷な結果を招いてしまう。マレー人はのんびりとした人々である。そこが魅力でもある。しかし華人やインド系の人々とひとつの国をつくり、世界が経済の時代へと進むなかでは、その差が浮き彫りになっていく。

(中略)

マレー鉄道もそのひとつだった。上り下り合わせて一日に十本にも満たない列車しか運行していない。その列車はアジアの流儀で走り、ときに大幅に遅れる


という多民族国家の少々歪な政策を反映した鉄道旅でもある。


さらには


中国だった。乗り物に乗る時は事前に運賃を支払う・・・という常識が希薄なのか、降りるときに払うといった拡大解釈を勝手にしてしまうのか。いや、人を信用すると痛い目に遭うことが頻繁に起きているのか・・・。中国ではこの種のトラブルが多い


といった「無秩序の秩序」のような環境であったり、


硬座は貧しい頃の中国を引きずっていた。列車は武漢行きだった。乗客の多くは、この街に職を求めて向井出稼ぎ組だった。経済清張を取りこんだ中国には、膨大な数の富裕層や中間層が生まれた。硬臥に乗ると、それを実感する。乗客は家族旅行や出張組が多い。しかし中国では、まだ膨大な貧しい人々が置き去りにされていて、彼らは硬臥の快適さを知っていても、硬座で耐えるしかなかった。


といった風に、国の民情が思わずでてしまう旅でもある。


さて今回の旅は、最初は、鉄道でアジアの最南端から最北端まで地続きで言って見る、といった動機で始まったはずなのだが、第四章あたりからは


そのなかで、もうひとつのシルクロードが交易量を増やしていく。中国からモンゴルを縦断し、ロシアに通じる道だった。主に茶が運ばれたことから茶葉の道とも呼ばれる。


と「茶のシルクロード」を辿るといった風に旅のテーマがだんだんと変わり


モンゴルに届いた固められた黒茶・・は、ミルクに削り入れられ、ニコンで飲まれるようになっていった。(中略)

「そのお茶というのは黒茶のミルクティーだったんです。世界ではじめて、ミルクティーを飲んだのは、モンゴルやロシアの人々じゃないかと思うんです」


と、インド→イギリス・ヨーロッパではない、違った「(紅)茶」の歴史を辿る旅へと変質していく。


そこも、またバックパッカー的放浪旅行記を読む楽しみであるので、旅の目的は云々と難しいことを言わず、筆者の放浪にあわせて、うかうかと楽しんだほうがよさそうだ。


とりわけ、アジアの南から北までの鉄道旅行記はほかであまり記憶にない。


国情のかなり違う国の鉄道の様子と読み比べ、あまりとりあげられることない「茶のシルクロードの旅」を楽しむのも面白いのではなかろうか。

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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