コロナ以前の「日常の食」を振り返ってみようー「辺境メシ」「もてなしとごちそう」「極限メシ」

2021年5月26日水曜日

グルメ

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新型コロナ禍で私たちが失っている愉しみの中に、「自由に外国に行くこと」「「街を自由に散策すること」「人と自由に食事をすること」があります。

かつては、この3つの「愉しみ」を日常的に、ありふれたものとして私たちは扱っていたのですが、いま制限下におかれて、その大事さをあらためて感じている人も多いのではないでしょうか。


現実の世界では、世界の国々でまだ感染爆発が収まっていない状況ですし、新型コロナワクチンも全ての国の人々に行き渡っているわけではないので、3つの「愉しみ」を制約なく満喫できるのは、もう少し先のことになるのでしょう。


ということで、今回は、様々な国、様々な民族、少々変わった「食」を描いた「食」エッセイ+ルポルタージュをご紹介します。


高野秀行「辺境メシ ヤバそうだから食べてみた」(文芸春秋)



「辺境メシ」の構成は


Ⅰ アフリカ ゴリラを食った男の食浪漫

Ⅱ 南アジア 怪魚、水牛、密造酒・・・爆発だ

Ⅲ 東南アジア 思わずトリップするワンダーランド

Ⅳ 日本 猛毒フグの卵巣から古来のワニ料理まで

Ⅴ 東アジア 絶倫食材に悶絶した日々

Ⅵ 中東・ヨーロッパ 臭すぎてごめんさない

Ⅶ 南米 魔境へようこそ


となっていて、北アメリカやヨーロッパといった、いわゆる「先進国」を除いた世界各地での「食ルポ」です。

ただ、早稲田大学探検部在籍時にアフリカでの幻の獣捜索を描いた「幻獣ムベンベを追え」でデビューし、以後も「ソマリランド」をはじめ、フツーの人が行かない国・土地への体当たりルポを続けている筆者のことなので、訪れる土地も、食するものもケタ違いに並外れています。


例えば冒頭の「ジャングルでゴリラを食ったやつ」ではアフリカのコンゴ共和国の密林の中でゴリラの


ゴリラ肉のお味はというと・・・固い。ゴリラは部位を問わず筋肉がものすごいうえ、屈強なコンゴの男たちは、柔らかくなるまで肉を煮るなんて面倒なことはしない。よって、顎が痛くなるような赤身の回い肉―とい颯 うのがわれわれの感じた「味」だった


やチンパンジーの


ゴリラ同様チンパンジーも筋肉の発達が著しく、ひたすら回いが、意外に臭みはない。よく噛むとコクも感じられる。ちなみに、一般的なサルの肉とは全然ちがう。サル肉は、独特の臭みがあるが味自体はあっさりしている。


といった普通の日本人ではおそらく一生のうち一度も食さないであろう「類人猿」の味と食すときの様子が描かれるし、パキスタンの首都イスラマバード近郊の町の羊料理のレストランで出される羊の睾丸や脳みそなど各種の内臓の「タカタッタ(たたき)」は


メニュー上は「肉のたたき」だが、実際には野菜を叩くのだ。

叩きに叩いてトロトロになつた野菜にスパイス、 ヨーグルト、塩を加え、水分を飛ばしてから、傍に除けておいた金玉と脳味噌に、それぞれ混ぜる。これで完成。

さてお味はというと、脳味噌は白子や豆腐のようで、それがトロトロ野菜やヨーグルトと融合して、肉料理と言うより「大トロ」。一方、睾丸は歯ごたえがありそうでなく、噛むLスーツと日の中に溶けていく快感。柔らかなスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。こちらは「中トロ」


といった具合です。ただ、これらの食ルポに共通しているのは、けして「ゲテモノ」の食べ歩き、度胸試しのルポルタージュではなく、辺境の地を探検してきた著者が、現地の生活に溶け込み、現地の人と同じように、その変わった「食」に馴染んでいる、というところ。

筆者と共に、「探検」をし、現地食を味わってくる魅力にあふれる一冊です。


中村安希「もてなしとごちそう」(大和書房)


こちらはむしろ「旅行家」として定評のある筆者による、十数年にわたる「旅の記録」のあちこちで散らばっていた「食の記憶」を集めたような感じのもの。

構成は


はじめに ムチュジワサマキ!―タンザニア

1.クスクス うちに食事に来ませんかーチュニジア

2.干拌面 ルーツに沁みる汁なし麺ー華僑

3.マトケ マッシュドバナナが恋しくてーウガンダ

4.アキー&ソルトフィッシュ ラスタおじさんの滋味―ジャマイカ

5.ヒン 九年越しの食卓ーミャンマー

6.インスタントコーヒー ご馳走させてもらえませんかーロヒンギャ難民キャンプ

7.バージィンジャーンマクリー ナスの素揚げが食べられるまでーシリア

8.平壌冷麺 臓腑を揺さぶる贅沢の味ー朝鮮民主主義人民共和国

9.フィシーフ ウキウキしながらボラを食うーエジプト

10.イフタール 断食明けのまぜご飯ーバングラディシュ

11.ゴヴェヤユハ スープの冷めない距離ースロヴェニア

12.クゲリス 時代を語るポテトプリンーリトアニア

13.ツェドメモクモク カタチの違う蒸し餃子ーラダック

14.ブンナ アラビカコーヒーの森へーエチオピア

15.年菜 おせち料理に願いを込めて―香港

おわりに 名もなき料理ードイツ


となっていて、一番多く出てくる場面は食堂やレストランでの気取った食事ではありません。それは例えばミャンマーで知り合った家族の家で食べる


モモがヒンのチキンをすくい、ご飯の上にのせた時、私は、あっ、と思って顔を上げた。私はさっきからチキンではなく、なぜか野菜のヂョーばかり食べていたらしかったから。

カボチャの葉っぱの炒め物は、眩しいくらい鮮やかな青竹色に発色していた。歯応えもきちんと残っていた・・・・私はお肉も大好きだったが、そういうものはここでなくてもヤンゴンにいる時もよく食べていて、お店に行けばどこででも手に入れるこおとができた。でもこの新鮮な葉っぱのヂョーは、今ここでしか食べられない


であったり、旅先で知り合った女性のスロヴェニアにある実家に止めてもらって長期滞在して御馳走になる


その日から毎朝、私は長い朝食を取った。二時間ぐらいそこへ座って、ついばむように須古すずつ食べた。彼女はそんな私の食事に、ずいぶん気長に付き合ってくれた。・・・朝食の中身はだいたい同じで、サラミやスラニーナなどの肉類とスイスチーズとパンだった。昼食や夕食も似たような感じで、そこにサラダやスープが加わり、そして必ずワインが出された。渡曽は毎日サラミを食べたが、どれだけ食べても次の朝にはまた皿いっぱいのサラミが補充されていた。


という朝食たち。それは「家庭の味」であるとともに、昔からそこにある気取らない味でもあります。ここらは、本書のほかのところででてくる、真冬の部屋を中を暖かくして提供される、キンキンに冷やした平壌冷麺や、ウガンダの登山ツアーで出される、粉ミルクを溶いて作ったポリッジとミルクティー、カリカリに乾いたトーストという朝食のよそよそしさとは「対極」にあるものですね。


「極限メシ! あの人が生き抜くために食べたもの」(ポプラ新書)


「極限メシ」の構成は


第1部 極限への挑戦

 第1章 光のない世界を歩く四カ月にわたり極夜行。

     探検隊の胃袋を満たした”ごちそう”とは?

 第2章 どんな極限状態でも人は食に喜びを見出す。

     国境なき医師団の看護団に聞いた「紛争地の知られざる食事情」

 第3章 捕れたてのザリガニを頬張りながら、

     アーバンサバイバルの実践者に「自然」との付き合い方を聞いてみた

第2部 極限からの生還

 第4章 「吐くとわかっていても食う」

     船酔い地獄のマグロ船から生還するため、死ぬ気で食べた四十三日間

 第5章 たったひとりの生還。

     わずかな水とビスケットだけで太平洋を漂流した二十七日間

 第6章 マイナス四〇°C趙のシベリア。

     黒パンをかじりながら、祖国へ戻る希望をひたすら抱き続けた男


となっていて、新型コロナ以前の「食」の風景が人々の交わりと豊かさがあったことは間違いないですが、一方で、「飽食」の部分があったことは間違いありません。

本書は、戦地での医療奉仕団であったり、脱出不可能なマグロ船、太平洋でのレーズ中にヨットが転覆し、飢えと渇きに耐えて立った一人生還したヨットマンなど、命を落とすかもしれない「極限」の中での「食」をレポートしていて、ビフォー・コロナの時代の「食」の姿を描き出してます。


しかし、そういう食料も乏しく、衛生状況も悪い厳しい状況下でも、国境なき医師団に参加し、戦地に行っている看護士さんの


イエメン北部の山岳地帯を訪れたときのことも忘れられません。あのときは、どこもかしこも空爆でやられていて、病院の周りが家を失った人たちのすみかとなっていました。そこにひとりのおじさんがいて、五十代ぐらいだったかな。私たちは診療を行っていてすごく忙しかったんですが、おじさんが真剣に手招きをするんです。何事かと思ってついていくと、コップに美味しい紅茶をいれてくれました。


であったり、上司の命令でマグロ船に無理やり乗せられた研究員の男性が、漁師さんたちと交わりながら、彼らによって


嫌でもムリヤリ食べさせられていました。というのも、船酔いの末、何も食べられなくなって亡くなった人が過去にいたようなんです。ちょうど熱中症と同じように、体液(電解質)を放出しすぎた結果、亡くなってしまったらしい。だから、もう死ぬ気で食べ抜いたわけです。


とマグロ船の揺れで極度に船酔いに苦しみながらも、拒食症にならず生存した経験は、人と人との「交わり」というのをしっかりと再認識させてくれます。

もっとも最後の章の「シベリア抑留」の話は「極限」すぎて、そんなものを押し流してしまう経験もあるので、あまり楽観的になってはいけないのでありますが・・・


レビュアーから一言


コロナ禍による現在のような状況がなければ、おそらく私たちは、際限のない「飽食」と絶望的な「飢餓」との両極端の道を同時に進んでいたのではないでしょうか。

ビフォー・コロナの様々な「食」の姿を、イン・コロナの今、振り返ってみるのは、これからの「食」のあり方、さらには食を通じての人と人との関係のあり方を考えるのに絶好の材料を提供してくれているように思います。

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日本の人口最少県の住人。なりわいは行政書士。読書好き、ガジェット好きの昭和人です。

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